東郷平八郎とニミッツ提督
東郷平八郎(1847年~1934年)
明治38年、ロシアは日本海軍に対抗するため海軍を東洋に回航させました。5月27日、38隻のバルチック艦隊は東郷の予感通り対馬海峡に現れました。いよいよ戦いが始まろうとする時、東郷連合艦隊司令長官は「皇国の興廃此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ」とZ旗信号を旗艦三笠に掲げました。
東郷は丁字戦法という捨て身の戦法でロシア艦隊を驚嘆・狼狽させました。
砲弾が飛び交い、波しぶきが寄せる中、東郷は艦橋に立って微動だにせず指揮を執り続けました。日本海軍はロシア艦隊19隻を沈め、5隻を捕獲し、司令長官を捕虜としました。しかし日本海軍は1隻も失うことがありませんでした。これほど完璧なる海戦は世界の海戦史上ありませんでした。
このニュースは瞬く間に世界に伝わり、東郷は世界の英雄と賞賛されました。トルコのトーゴービール・トウゴー通り、フィンランドなど多くの国の教科書に東郷の英雄振りが記載されています。
明治維新後、東郷平八郎は、英国へ留学することを希望します。この留学を斡旋してくれたのが西郷隆盛でした。しかし、西郷隆盛はその後、西南戦争で多くの仲間と共に亡くなります。西郷を信奉していた東郷は留学していなければ間違いなくこの西南戦争に参加していたことになりますので、もしかすると、ここで戦死していたかもしれません。東郷平八郎自身も「もし私が日本に残っていたら西郷さんの下で戦っていただろう。」と語っています。
アメリカ太平洋艦隊司令長官:ニミッツ提督と東郷元帥
太平洋戦争中「出て来い、ニミッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄に逆落とし」日本でよく歌われたという。日本帝国海軍と戦った敵将、アメリカ太平洋艦隊司令長官である。このニミッツ提督に日本海軍は敗れました。
このニミッツ提督が師と仰いでいたのは東郷平八郎元帥でした。日露戦争の直後、士官候補生だったニミッツは、米国軍艦にて日本を訪れ、明治天皇の賜宴に出席し、東郷と言葉を交わしました。
ニミッツは大戦後に次のように語りました。「私は海軍士官候補生の時、私の前を通った偉大な提督東郷の姿を見て全身が震えるほど興奮をおぼえました」
そして、いつの日かあのような偉大な提督になりたいと思ったのです。東郷は私の師です。あのマリアナ海戦の時、私は対馬で待ちうけていた東郷のことを思いながら、小沢治三郎中将の艦隊を待ちうけていました。そして私は勝ったのです。東郷が編み出した戦法で日本の艦隊を破ったのです。
戦後、ニミッツは日露戦争で東郷が乗艦した戦艦・三笠が、荒れ放題になっていることを聞き深く心を痛めました。三笠は日本の運命を救った船として永久に記念すべく、大正15年以来、横須賀に保存されていました。
ところが第2次大戦後には東郷元帥までが軍国日本の悪しき象徴とされました。そして東郷元帥の乗艦した三笠は見るも無惨な扱いを受けたのです。大砲、艦橋、煙突、マスト等は取り除かれ、丸裸になってしまいました。艦内では米兵相手の営業が行われ、東郷のいた司令長官室は「キャバレー・トーゴー」に変わり果てました。
敗れた日本人は魂を失い、勝った米国人は奢りに陥っていました。
ニミッツは嘆き悲しみました。彼は米国海軍に働きかけて資金をつくり、これを三笠の復元費として日本側に寄贈しました。また日本国内にも反省が起こり、昭和35年にようやく三笠は復元されました。その際、ニミッツは彼の写真と共に次の言葉を送りました。
「貴国の最も偉大なる海軍軍人東郷元帥の旗艦、有名な三笠を復元するために協力された愛国的日本人のすべての方へ、最善の好意をもってこれを贈ります。東郷元帥の大崇拝者たる弟子 米国海軍元帥 C・W・ニミッツ」
大戦の際、東郷元帥をまつる東郷神社は、戦災で焼失しました。昭和39年、ニミッツは東郷神社が再建されることを聞くと、自分の写真と共に祝賀のメッセージを寄せて喜びを表しました。
「日本の皆様、私は最も偉大な海軍軍人である東郷平八郎元帥の霊に敬意を捧げます」
ニミッツの死後、昭和51年、アメリカでは英雄ニミッツの功績を記念して「ニミッツ・センター」の設立が計画されました。その時センターのハーバード理事長は「ニミッツ元帥は東郷元帥を生涯心の師として崇拝してきました。東郷なくしてニミッツを語ることはできないと信じますので、本センターは是非、東郷元帥の顕彰も併せ行いたいと思います。また東郷のような偉大な人物を育てた日本の文化資料も展示し、日本の姿も知らせたいと思います」と協力を要請してきました。日本側は喜んでこれに応じました。そして資料のほか平和庭園と名付けた日本庭園を贈りました。こうしてニミッツセンターは日米を代表する英雄を記念する施設となったのです。
アメリカ合衆国が航空母艦は第二次世界大戦以降戦艦に替わる海軍の象徴であると同時に外交力の象徴であり、その名前に人名がつくのは基本的に大統領だけであるが、アメリカ海軍史上最も光輝ある名を持つ「エンタープライズ」さえ凌ぐ巨大空母に「ニミッツ」と名付けて生前の功績に報いた。