敬天愛人フォーラム21 西郷隆盛に学ぶ
南洲翁遺訓 第36条

南洲翁遺訓 第36条

原文

聖賢に成らんと、欲する志無く、古人の事跡を見迚も、企て及ばぬと、云ふ様なる心ならば、戦に臨みて、逃るより猶卑怯なり。朱子も白刃を見て、逃る者はどうもならぬと云はれたり。誠意を以て聖賢の書を読み、其の処分せられたる心を、身に体し心に験する修業致さず、唯个様の言、个様の事と、云ふのみを知りたりとも、何の詮無きもの也。予、今日人の論を聞くに、何程尤もに論ずるとも、処分に心行き渡らず、唯口舌の上のみならば、少しも感ずる心之れ無し。真に其の処分有る人を見れば、実に感じ入る也。聖賢の書を空しく読むのみならば、譬へば人の剱術を傍観するも同じにて、少しも自分に得心出来ず。自分に得心出来ずば、万一立ち合へと申されし時、逃るより外有る間敷也。

現代語訳

聖人賢者になろうとする気持ちがなく、昔の人が行なった史実をみて、自分にはとてもまねる事が出来ないと思うような気持ちであったら、戦いに臨んで逃げるより、なお卑怯なことだ。朱子(昔の中国南宋の学者)は抜いた刀を見て逃げる者はどうしようもないと言われた。誠意をもって聖人賢者の書を読み、その一生をかけて培われた精神を、心身に体験するような修業をしないで、ただこのような言葉を言われ、このような事業をされたという事を知るばかりでは何の役にも立たぬ。私は今、人の言う事を聞くに、何程もっともらしく論じようとも、その行いに精神が行き渡らず、ただ口先だけの事であったら少しも感心しない。本当にその行いの出来た人を見れば、実に立派だと感じるのである。聖人賢者の書をただ上辺だけ読むのであったら、ちょうど他人の剣術を傍から見るのと同じで、少しも自分の身に付かない。自分の身に付かなければ、万一『刀を持って立ち会え』と言われた時、逃げるよりほかないであろう。